意志を持って生きた人生 ― ドリー・パートンを偲んで
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先週、世界中の女性たちにとって憧れの存在である2人の素晴らしい女性がこの世を去ったことをとても悲しく思いました。1人はアメリカを代表する歌手であり、ソングライター、実業家、そして慈善活動家でもあったドリー・パートン。もう1人は、日本が世界に誇る芸術家、草間彌生さんです。
草間さんは8月14日、97歳で亡くなりましたが、その訃報が公表されたのは少し後になってからでした。ドリー・パートンは8月25日、80歳で亡くなりました。
私はもともとカントリーミュージックの大ファンというわけではありませんでしたが、もちろんドリー・パートンのことは知っていました。彼女の音楽はカントリーというジャンルをはるかに超えて広く親しまれ、『Jolene(ジョリーン)』『Coat of Many Colors(コート・オブ・メニー・カラーズ)』『9 to 5』などは、ほぼ誰もが一度は耳にしたことのある曲でしょう。
そして、『I Will Always Love You』。私はこの曲をホイットニー・ヒューストンの素晴らしい歌声で知りました。ずっと後になるまで、これがドリー・パートンの作った曲だということを知りませんでした。ドリーがこの曲を書き、自らレコーディングしたのは1973年。ホイットニー・ヒューストンが1992年に歌い、世界的な大ヒットとなるずっと前のことです。
ドリーが亡くなってから、私の中でちょっとした変化が起こりました。InstagramやTikTok、ニュースなどに、彼女の昔のインタビューやコンサート映像、人生についてのさまざまなエピソードが次々と流れてくるようになり、なんとなく見始めたのですが、見れば見るほどこの女性のことが好きになっていきました。そして、彼女が生きているうちにもっと知っておけばよかった、と少し後悔しました。
彼女の人生は、まさにアメリカンドリームそのものといえる、貧しい少女から大成功を収めるまでの物語でした。ドリーは12人きょうだいの4番目として生まれ、テネシー州東部の山間部で、非常に貧しい家庭に育ちました。一家が暮らしていたのは、小さな一部屋だけの家。私たちが当たり前だと思っているような生活の便利さとは、ほど遠い環境でした。しかし、後にドリーが子ども時代について語るとき、貧しさがその時代の彼女にとって大きな要素だったとは感じられません。何より大切だったのは、愛してくれる家族がいるということだったのでしょう。
私が特に心を打たれたエピソードのひとつが、『Coat of Many Colors』という曲のもとになったお話です。彼女のお母さんは、余った布切れを縫い合わせて、ドリーのために一着のコートを作ってくれました。愛情を込めて作ってもらったそのコートは、ドリーにとって宝物でした。ところが、そのコートを着て学校へ行くと、家が貧しいことが一目でわかると、ほかの子どもたちから笑われてしまったのです。

何年も経ってから彼女はそのつらい経験を、自分を代表する曲のひとつへと変えました。自分の生い立ちを恥じるのではなく、その経験を美しいものへと変えたのです。
考えてみれば、ドリーは人生を通して、ずっとそういう生き方をしていたように思います。ほかの人なら「欠点」や「不利なこと」と考えてしまいそうなものを、彼女は隠そうとはしませんでした。そのまま受け入れ、自分のものにして、いつの間にか自分の強さへと変えてしまうのです。
あの有名なドリーのスタイルも、実は子どもの頃の記憶から生まれたそうです。あるとき街で、ブロンドに染めた髪に真っ赤な口紅、ハイヒール、体のラインがはっきりわかる服を着た女性を見かけました。幼いドリーには、その女性が今まで見た中で一番美しい女性に見えたそうです。ところが、周りの大人たちはその女性を見て、別の言葉を口にしました。「下品な女だ」と。それを聞いたドリーは、こう思ったそうです。
「それが“下品”っていうなら、私もそうなりたい!」
そして本当に、彼女は自分だけのスタイルを作り上げました。大きなブロンドのウィッグ、ラインストーン、華やかなメイク、ハイヒール、ボディラインを強調した服。どれを見ても、ひと目で「ドリー」とわかります。誰かが決めた「洗練された女性」の姿に近づこうとしたのではありません。彼女は、自分にとっての「美しさ」を自分自身で決めたのです。

もうひとつ、私がとても好きなドリーのエピソードがあります。彼女は、ファンを決してがっかりさせたくないという思いを強く持っていたそうです。人前に出るときには、必ず髪を整え、きちんとメイクをしていました。それは、みんなが知っている大好きな「ドリー」の姿を見せたいと思っていたからです。せっかくファンが自分に会えたのに、みんなが思い描いている華やかなドリーとは違って普通の姿でいることで、がっかりさせるようなことはしたくなかったのです。
こんな楽しいエピソードもあります。あるときロサンゼルスで大きな地震に遭ったときのこと。友人から「すぐに家の外へ出なきゃ!」と言われ、ドリーも外へ逃げようとしました。ところがその瞬間、自分がまだメイクをしていないことに気づいたのです。なんと彼女は、身支度をするために家の中へ戻ってしまいました。
後にドリーは、「“ドリー”の姿じゃないまま外で人に見られるくらいなら、死んでしまう方がまし」と冗談を言っていたそうです。私はこの話がとても好きです。自分を愛してくれる人たちに対する責任を、彼女がどれほど真剣に考えていたのかが伝わってくるように思います。
しかも、自分のことを笑い飛ばせる人でもありました。彼女の有名な言葉のひとつに、こんな言葉があります。
「こんなに安っぽく見せるのって、すごくお金がかかるのよ。」
でもそんなユーモアの奥には、私がもっと好きになった彼女の人生哲学がありました。
「自分が何者なのかを見つけたら、意志を持ってその自分を生きなさい。」
なんて素敵な言葉でしょう。
「こうあるべき」と誰かが考える人間になろうとして、人生を費やす必要なんてありません。自分が何者なのかを自分で決めて、その人生を自分の意志で生きていく。
そして私は、ドリーが年齢を重ねることについても、とても素敵な考え方を持っていたことを知りました。今年、80歳を迎えた頃、彼女はこんなことを言っていました。
「自分で年寄りになることを許したら、本当に年寄りになっちゃうのよ。」
そして、こう続けたのです。
「私には年寄りになってる暇なんてないの!」
これこそ、まさに私のテーマです!
年齢を重ねることは避けられません。でも、「年寄りになる」ことは、それとは別の話です。
ドリーは人生の最後まで、創作し、計画を立て、仕事を続けていました。亡くなるわずか数日前にも、体調の問題を抱えていることを認めながら、それでもこう話していました。
「まだ回復の途中だけど、仕事は続けているわ。」
彼女はいくつものプロジェクトを進めていました。そのひとつが、自身の人生と音楽をもとにしたブロードウェイミュージカル『Dolly: A True Original Musical』です。80歳になっても、彼女の頭に「もうやめよう」という考えはなかったのでしょう。まだ次に何を生み出せるのかを考えていたのです。
でも、ドリー・パートンについて私が最も素晴らしいと思うのは、彼女の成功が、決してドリー・パートン一人のためだけのものではなかったことです。彼女は非常に賢く、成功した実業家でもありましたが、その成功を他の人たちのためにも活かしました。医療支援から災害支援まで、さまざまな慈善活動を続け、なかでも素晴らしい「Imagination Library(イマジネーション・ライブラリー)」という活動を通じて、子どもたちに何億冊もの本を届けてきました。

大きなブロンドヘア、ラインストーン、ハイヒール、そして素晴らしいユーモア。その華やかな姿の内側にいたのは、知性と思いやり、強い意志、そして人生の目的を持った女性でした。
彼女が生きているうちに、もっと彼女のことを知っていたらよかった。そう思います。でも、今からでも遅くないのかもしれません。
これからも彼女の昔のインタビューやエピソードを探してみようと思っています。きっとドリーには、まだまだ私に教えてくれることがあるような気がするからです。
そして、彼女の人生からひとつだけ教訓を受け取るとしたら、私はこう心に留めたいと思います。
自分が何者なのかを知ること。
意志を持って、自分の人生を生きること。
働き続けること。
笑い続けること。
そして、自分自身に「年寄りになること」を許さないこと。
ドリー・パートンは、女性たちにとって本当に素晴らしいロールモデルでした。そしてこれからは、間違いなく私にとっても、その一人です。
次回は、先月私たちが失ったもう一人の素晴らしい女性、草間彌生さんについて書きたいと思います。








