草間彌生 ― 彼女だけの世界

Yayoi Kusama — A World of Her Own
草間彌生 ― 彼女だけの世界
草間彌生さんについて書くのは、思っていた以上に時間がかかりました。
この類まれな女性のことをもっと理解したくて、記事を読んだり、本を取り寄せたり、あらためて彼女の作品を見返したりしました。
数週間前、私は ドリー・パートンについて書きました が、ある意味、ドリーのことはもっと書きやすかったように思います。彼女はエンターテイナーとして、人生の多くを人々の目に触れる場所で生きてきた人でした。歌やインタビュー、さまざまなエピソードを通して、私たちは彼女のことをよく知っているように感じていました。
でも、草間さんは違いました。
私たちが草間さんを知るのは、何よりもまず彼女のアートを通して。そして、彼女自身がつくり上げた、あの鮮烈なイメージを通してでした。真っ赤なボブヘア、カラフルな服、どこまでも続く水玉模様。そしてもちろん、あの愛らしいかぼちゃ。
まったく異なる二人の女性ですが、私にはどこか共通するものがあるように思えます。二人とも、誰にも真似のできない自分だけの世界をつくり上げ、そして世界中の何百万人もの人たちに、自分自身の一部を分け与えてくれました。
ただ、草間さんについては、ときどき「私たちには見えていない何かを、この人には見えていたのではないか」と感じることがあります。
彼女は、無限、宇宙、反復、水玉、生と死、そして広大な宇宙の中での私たちの存在について語りました。彼女の考えを解説した文章を読んでいると、正直なところ、私には完全には理解できないこともあります。
それなのに、彼女の作品を目の前にすると、不思議とわかるような気がするのです。
それこそが、彼女の魔法だったのかもしれません。
The Pumpkin That Makes Me Smile 私を笑顔にしてくれる、かぼちゃ
草間さんはさまざまな作品で世界中に知られていますが、その中でも、ひと目で誰からも愛されるものといえば、やはり「かぼちゃ」ではないでしょうか。
私は、草間さんの小さなかぼちゃをキーホルダーにつけています。偶然にも彼女が亡くなる少し前に買ったものなのですが、今となっては、もっといくつか買っておけばよかったと思っています。
その小さなかぼちゃを見るたびに、私は笑顔になります。
考えてみれば不思議ですよね。かぼちゃなんて、とても身近でありふれたものです。それを草間さんは水玉で覆い、まるで命を吹き込むように個性を与え、世界中の人たちがひと目でわかり、愛するものへと変えてしまいました。
直島を訪れたことのある方なら、きっとわかってくださると思います。私も何度か訪れていますが、そのたびに海辺にある有名なかぼちゃの前で、お決まりの記念写真を撮らずにはいられませんでした。
どこか子どものような無邪気さがあります。楽しくて、親しみやすくて、どこか懐かしい。
私にとっては、今ではハローキティと同じくらい愛らしい存在になっています。
Standing Among Her Paintings 彼女の絵画に囲まれて
草間さんの作品について、私の記憶に特に強く残っているのが、六本木の国立新美術館で開催された展覧会です。
あの広大な展示室に足を踏み入れたとき、圧倒されたことを今でも覚えています。
大胆な色、顔、形、目、水玉、そして繰り返されるパターン。次から次へと現れる絵画に囲まれ、中にはまるで催眠術にかけられるような作品もありました。これほど緻密な形を、たった一人の人間が、どうしてこれほど正確に、そして想像力豊かに何度も何度も描き続けることができるのだろう、と不思議に思ったものです。
2017年の展覧会では、「わが永遠の魂」シリーズの絵画約130点を含む、およそ270点もの作品が展示されました。
でも、数字だけでは、あの場所に立ったときの感覚は伝えられません。
彼女の作品が、空間そのものを覆い尽くしているようでした。
あの日、写真を撮ったはずなのですが、スマートフォンの中を探しても、どうしても見つかりません。もしかすると、それでいいのかもしれません。
今も残っているのは、あの展示室を歩きながら、ただただ圧倒されていた私自身の記憶です。
Art as a Way of Living アートとともに生きる
草間さんの人生は、決して平坦なものではありませんでした。
幼い頃から幻視や幻覚を経験し、それらはやがて彼女のアートを形づくる独自の視覚表現の一部となっていきました。1950年代後半にニューヨークへ渡ると、前衛芸術の世界に身を置き、絵画、彫刻、インスタレーション、パフォーマンスなどを手がけながら、誰にも似ていない独自のスタイルを築いていきました。
その後、日本に戻った彼女は、東京の精神科病院で暮らすことを選びました。
私が心を打たれるのは、それによって彼女がアートから離れることはなかったということです。病院の近くにはアトリエがあり、その後も何十年もの間、驚くほどのひたむきさで制作を続けました。
草間さんにとって、アートは単に「すること」ではなかったのでしょう。
アートそのものが、彼女の生き方だったのだと思います。
私は最初、彼女はもしかしたら「未来から来た人」だったのではないか、と書いていました。
今でもそう感じています。ただ、その意味は少し変わりました。
他の人には奇妙に見えたり、理解できなかったりしたものも、草間さんにとっては、それが彼女自身の世界の見え方だったのかもしれません。
私たちが何気ないものとして見過ごしているところに、彼女はパターンや無限、そしてさまざまなつながりを見ていた。
そして、それを私たちにも見せてくれたのです。
Kusama at a Cyndi Lauper Concert シンディ・ローパーのコンサートで出会った草間さん
2年前、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、シンディ・ローパーのコンサートを観ました。
コンサートの最後、「Girls Just Want to Have Fun」のときに、シンディは草間彌生さんへのトリビュートを披露しました。
スクリーンには草間さんの姿が映し出され、シンディとパフォーマーたちは、赤と白の水玉という、ひと目で草間さんとわかる世界に包まれていました。
私はそれがとても好きでした。
まったく異なる文化、まったく異なるアートの世界から生まれた二人の女性。それなのに、不思議なくらいしっくりと馴染んでいました。
二人とも、人から期待されるような見た目や服装、生き方、表現の仕方に自分を合わせることはありませんでした。
ただ徹底して自分自身であり続けることで、誰もがひと目でわかる存在になったのです。
An Eternal Soul 永遠の魂
草間彌生さんが97歳で亡くなったという知らせを聞いたとき、私は悲しい気持ちになりました。
でも同時に、なんて素晴らしい人生を生きた人なのだろう、とも思いました。
彼女は、人生のほとんど最後まで作品をつくり続けました。草間彌生スタジオによれば、彼女は最後まで筆を置くことなく、生涯を通して向き合ってきた「愛」「永遠」「魂」というテーマを探求し続けていたそうです。
いつか彼女の絵を一枚、自分のものにできたら……と思ったこともあります。
残念ながら、それは私の予算をかなり超えていましたけれど!
だから私の手元にあるのは、あの小さなかぼちゃ。そして草間さんのティーポットとティーセットです。今では手に入りにくくなっているので、あのとき買っておいて本当によかったと思っています。
でも、それで十分なのかもしれません。
あの小さなかぼちゃを見るたびに、私が思うのはアートの値段ではありません。
「喜び」です。
ごく普通のかぼちゃを見て、そこにまったく違う何かを見つけた人のことを思います。
そして、それこそがアーティストが私たちに残してくれる、何より素晴らしい贈り物なのかもしれません。
草間さん、ありがとう。








